あいのりに想う。人間はいつから暴力に支配されなくなるのか

千葉県でわずか10歳の少女が亡くなった。理由は父親の虐待だ。

命が誕生することは奇跡そのものなのに、なぜその命を大切に育んでいかないのか。

ただただ少女が可哀想で胸が痛い。


少女は現状を打破しようと闘っていた。
学校のアンケートに、父から虐待されていることを書き、助けを求めたのだ。

そのアンケートのコピーを、市教育委員会はこともあろうに少女の父親に渡した。

アンケートを見て激高した父親が少女への虐待をエスカレートさせる可能性があることを、渡した人もわかっていたはずだ。

なのに渡した理由は、少女の父親が怖かったからだという。恐怖に屈したのだ。


これだけ文明が発達したのに、知性が発達したのに、

なぜ未だに人間は暴力と恐怖に屈してしまうのか。そして誤った判断をするのか。

 

「(※1)あいのり Asian Journey SEASON2」を見ていると、

人間は暴力と恐怖の前では無力であることがわかる。

宗教に洗脳されていくときってこういう状態なんだろうな、

DVから逃れられず、DV男を愛してしまう人の心理ってこんな感じなんだろうな、

というのが良くわかるから見てない人は見て欲しい。

 

(※1)あいのり…男女7人が、ピンクのラブワゴンで真実の愛を探す旅を送る恋愛観察バラエティ。

 

「でっぱりん」という女の子が登場する。

あだ名の通り少しだけ出っ歯ではあるが、可愛い女の子だ。

福岡出身。母子家庭で中卒。辛い社会を頑張って生き抜いてきた。笑い方はリアルに「ガハハ」。

 

彼女は「あいのり Asian Journey SEASON1」から登場しており、

視聴者からとても人気があった。

私も好きだった。彼女が告白に失敗して帰国した時は誰もが寂しく思っただろう。

 

その彼女が、SEASON2にも応募してきた。

あいのりとしては異例の事態だが、でっぱりんの面白さと人気ぶりを考慮して、

SEASON2のラブワゴンの旅にも採用され登場。

 

SEASON2で彼女は変わっていた。
少しばかりぽっちゃりしていた。だがそれでも全然可愛いし問題ない。

 

変わっていたというか、同じ状況に置かれると誰しもこうなるのかもしれないが、

SEASON1で人気で、SEASON2にも異例の抜擢で出演するようになったでっぱりんは、一言で言うと大御所、映画風に言うと女王の風格を出すようになっていたのだ。

ドラえもん風に言うと、ジャイアンを悪徳にした感じになっていた。

でっぱりんに同調し、誰かの悪口で仲を深め合うモア(スネ夫役)の存在で、でっぱりんの女王感は日に日にエスカレートしていった。

 

彼女は酒癖が悪い。SEASON1では酒癖の悪さで喧嘩を売った(どついたりしてた)のは年上の男性スタッフと男性メンバーだった。その時のでっぱりんの意見には納得できるところが多々あり、あそこでファンが増えたのではと思う。

 

ところがSEASON2ででっぱりんが喧嘩を売ったのは、年下で可愛くてか弱い女の子、ゆうちゃんだったのだ。しかもゆうちゃんは喧嘩を買っていない。でっぱりんからの「人に頼り過ぎ」という指摘に反省し落ち込み、指摘してくれたことへの御礼を言ったほどなのだ。

なのにでっぱりんはどんどんエスカレートし、最終的にゆうちゃんを怒鳴りながらどつく。

そしてスタッフに止められ、夜の街で暴れる。博多弁で叫びまくる。博多弁の女の子って可愛いと思っていたけど一気にトラウマになるレベル。パンツが見えるくらいに暴れて泣き叫ぶ。「あれ?『警察24時』見てるのかな?」と思った。 

 

人は強い者に立ち向かう人は応援するが、弱い者に暴力を振るう人は軽蔑する。

ゆうちゃんに理不尽な暴力をふるうでっぱりんを見て、視聴者はでっぱりんから離れた。即座にTwitterを検索すると、「でっぱりんは病気だ」 「でっぱりんやばい」が溢れていて世間と同じ感覚であることにホッとした。 

 

何よりでっぱりんから離れたのは、一緒に旅をしている若い男女達だろう。

翌朝、でっぱりんは「酒ヤクザになってごめんなさい。てへぺろ」となぜか視聴者に向かって謝っていたが、ラブワゴン仲間の前では引き続き不機嫌さを出しメンバーを罵倒する。「酔っていなくてもこれか」と、若い男女達は恐怖に包まれた。

 

その後は、内心ではでっぱりんを敬遠しながらも、でっぱりんの機嫌取りに徹するメンバー達。

男子メンバーはでっぱりん達女子メンバーに快適で豪華なホテルの部屋を提供するため、自分達は雨の中、車の中で寝たりと身を削った。一瞬映ったインサート映像には、でっぱりんの肩を揉む男子メンバーの姿があった。

 

そしてどつかれたゆうちゃんは、ますますでっぱりんに心酔している様子で、たびたび感謝の言葉を口にしていた。完全にDV男に洗脳されている女子だった。

 

新しい女性メンバー、美人で品のいい桜子が入ってきたが、でっぱりんのお気に召さなかった。そしてでっぱりんが気に入らない女はみんなでハブく。

完全なる恐怖政治が敷かれていた。

悲しくなった。どんなに文明が発達しても、どんなに知性を身につけても、人はやはり暴力の前では心砕かれ、思考停止となり、暴力に従うしかないのだ。たとえ理不尽でも、怒鳴って怒った者が勝ちなのだ。

 

最初はでっぱりんを変えようと頑張っていた現場のディレクターもでっぱりんの機嫌を取り彼女に従うようになり、スタジオのベッキー達でさえも、でっぱりんをかばうのだ。「でっぱりんは私たちのアイドル」 とさえ言う。ベッキーの「でっぱりんはやっぱり人間力あるんだよ」は何度も聞いた。「人間力」の定義がカオスとなってゆく。


人の悪口を言わない優等生なベッキーを「分かり合えない」「スタジオのコメント意味ない」「ベッキー達の的外れなコメントにストレス溜まるわ」と嫌いになった人も多いだろう。暴力をふるう人間を正義とすることの罪を問いたい。

 

ちなみに同時期に、『テラスハウス軽井沢編』がやっていた。ここには「ユイ」という女の子が登場する。「処女ってクソ面倒臭いな」と多くの人に気づきを与えてくれた、黒髪美少女でマシュマロみたいな肌を持つ処女だ。ごく普通の大学生で就職活動をしたりしていた。

 

ユイは暴力は振るわない。感情に任せて怒ったりしない。いつだって理性的に、論理の崩壊した自論を語って相手を諭そうとする。そしてあちらこちらで陰口を言って、目的なく人間関係を悪化させ、謎にコミュニティを破壊していく。


ユイは知性派だ。知性派の悪だ。だが知性派は別の知性により簡単に倒される。ユイは「こいつおかしいな」と気づいたテラハ住民により糾弾されるのだ。(スタジオの山ちゃん達のコメントも的を得ている上に笑いを与えてくれて痛快だ。)

 

そう。今の世の中、頭で行う政治は、どんなに緻密に考え抜かれたとしても、別の知性によって滅ぼされるのだ。

だが暴力は絶対だ。多くの人が理性的になってしまった現代で、そこに対抗する別の暴力は出てきにくい。暴力は、強い。

 

 

今後感動を呼ぶ編集により、あいのりのでっぱりんは素敵に編集されていくだろう。「でっぱりんやっぱりいい子じゃん」と思い直し、素敵な恋愛に涙さえしてしまうかもしれない。

でも僕たちは忘れてはいけない。人間はどうしたって暴力に従うしかないと教えてくれたあの社会の縮図のような光景を。でっぱりんいい子だと思ってしまうのは、でっぱりんに植え付けられた恐怖の反動でしかないということを。

 

 

 

大切なことは全部、あいのりとテラスハウスが教えてくれた――

  

 

暴力を振るう相手は怖い。大きな声を出す相手は怖い。でもそこで思考を停止させてはいけない。暴力に屈したとき、さらなる被害者が出てくると思い僕たちは闘わなくてはいけないのだ。強くなろう。大切な弱き者を守るために。