「やりたいこと至上主義」の人は、同時に自分がカスであることも決して忘れてはならない

就活シーズンになると、「私にはやりたいことがないんです」と悩む学生が登場する。
それがたとえありふれた「世界一周」とか「最年少で上場する」とかであっても、「やりたいこと」があるだけで凄いと言われたりする。

僕に言わせたら、やりたいことがない人の方が遥かに偉い。大切にしたい存在だ。

なぜなら僕の周りにいた「やりたいこと」がある人は、
「やりたいことがある」「この年齢の今しかやれないことがある。だからやりたい」という大義名分を振りかざし、与えられた仕事を華麗に放り投げ、
やりたいこと目指して突き進んでいったからだ。

ネコまっしぐらも真っ青の行動力だった。
やりたいことを見つけて去っていった人の後には、カオスだけが残った。
そして後処理に追われた人々がいた。

やりたいことがあるのは良いのだが、最低限のマナーは守ってほしい。
やりたいことがあるのは、それが世界をジョブズ並に良くすることであったとしても、周りの人からすれば勝手なことであることに変わりはない。

「この仕事は私のやりたいことじゃないわ」と気づいたらならそれで良い。
だが途端にその仕事をバカにし始めるのはやめろ。そこで頑張ってる人たちがいるから。

「やりたいことがあるのに時間が勿体ない」と、
ろくに引き継ぎもせずにいなくなるのはやめてくれ。本当に大変だ。

「やりたいことがあるんだもん」と堂々とした態度でいるのはやめてくれ。
今ここにある現実を投げ出すことへの申し訳なさも持って欲しい。
自分にとってはくだらないことかもしれないが、
何事も途中で投げ出すことは良いことではない。
やめてもいいんだ。でもしっかり後に引き継いでくれ。
つまらないところで敵を作っていかないでくれ。

当時の同僚と将来、どこで会うかわからない。
当時の同僚が、ライバル会社のお偉方になってるかもしれない。
自分に仕事をくれるかどうかの決裁権を持ってる人になってるかもしれない。

いい加減に仕事を投げ出した人というイメージだけ持たれている君が、
そこで良い人間関係を築くことができるだろうか。

すべての仕事は人間関係だ。人生とは人間関係なんだ。

やりたいことがあるということは、悪いことではない。
でも自分勝手になってもいいということではないから、そこだけはわかってほしい。



世の中を支え動かしているのは、
やりたいことがないけれど、責任を持って遂行する人たちだ。

世の中の人全員にやりたいことがあって、それを行うのが良しとされるなら、
世界は滅びているだろう。 


やりたいことはないけれど、誰かの役に立ってる人を僕は賞賛したい。

やりたいことがあって不義理をしてきた人たちは、どうかそれを一生賭けて成し遂げる覚悟でやりきってほしい。一時の情に流されていただけで、中途半端にやって飽きて終わってたら、それこそ真のカスである。